遅まきながら…

42歳で結婚して45歳直前から不妊治療を開始しました。そして現在47歳。5000人に1人、0.02%という低い治療成功率だけど奇跡を信じて…

6週5日 心拍確認

判定日から色々あり精神的に落ち着かない日が続いた。あの大出血に動揺してせっかく授かった命を失う恐怖を感じ、自宅近くの病院で無事が分かり安心したけれど心拍がハッキリしない状況にまた動揺。本来この時期なら「妊娠初期の過ごし方」や「この時期の赤ちゃんの様子」などを検索して授かった幸せを実感していたいのに不安な気持ちが先立ち「心拍確認出来ない」や「流産の兆候」と、こんなの悪いと分かりつつ、ついつい後ろ向きな検索ばかりしていた。先の事を考えても仕方ない‥と分かっていたけど少しでも安心したくて必死にそんな材料を探していた。

あれから少量の出血が何度かあったけど、今はそれも治まり腹痛もない。朝起きるとダルくてムカムカするため食欲がなく、つわりのような症状が続いている。

妊娠したら次から次へと超えなければならない壁がある事は分かっていたけど、その壁を超える事が精神的にこんなにハードだとは想像出来なかった。次に待つ壁は目の前に迫る心拍確認の壁。結果を知るのは怖いけれど、早く結果を知って不安定な日々から解放されたいという気持ちが今は強い。

そして久々のクリニック。もし心拍確認が無事に出来たら卒業となり、もう来る事はない。予約時間は午後にしてもらったため、ゆっくりと準備をして向かう事が出来た。

採血してからさほど待つ事なく内診室に呼ばれた。場所は前回と同じ端の内診室で、薄暗い中で準備を終えて内診台に仰向けになる。不妊治療を始めたばかりの頃は内診台に上がるのが嫌でノソノソと台に上がり早く終わって欲しいと思っていたけど、治療が進むにつれてすっかり慣れてしまった。今ではパパッと準備をしてサッと足を上げて待機している。両手を胸の上で組んでゆっくり呼吸をしながら待つ。

「今日は心拍確認ですね。診てみましょう」

ドキドキ‥。自分の鼓動が組んだ手に伝わる。モニターに写し出された丸の中にチカチカした様子は見えない。

「うーん」

先生も探してくれているけど見つからないみたいでしばらく無言が続く。私もモニターをずっと見続けていた。チカチカが見えない‥。

もし、見えなかったらどうしようと思った矢先、

 

「あ、見えますね!ありましたよ」

 

 

カーテンの向こうから先生の声がした。その後すぐにスピーカーから低く早い心拍音が聞こえてきた。

涙は出なかったかわりに緊張がとけて深く息をはく。組んでいた手の平は汗をかいていた。時間がかかったけど先生が念入りに探してくれてやっと心拍確認が出来た。

胎芽4.6ミリ

胎嚢20.7ミリ

心拍数149

E2 445.8

p4 >H

経過は順調で移植からずっと続けていたホルモン補充を減らして行く事になった。

「おめでとうございます!紹介状を書きますが産院は決まりましたか?母子手帳ももらって下さいね」 

産院や母子手帳、私のこれまでの人生で聞く事がなかった単語が並ぶ。産院なんて先の事すぎて考えた事なかった。これからゆっくり検討する事もないだろうし紹介状を書いてもらわないとならないので急いでその場でスマホで探し先生に伝えた。その後は会計までは慌ただしくて、嬉しさや思い出に浸る事もなく卒業コメントを書いたり卒業カードをもらったりした。会計が終わり改めて

「おめでとうございます。頑張って!」

と先生やスタッフの方に言われた事を思い出し嬉しいけど少し寂しい思いでクリニックを後にした。

電車通院が新幹線に変わり、時にはバスを利用して通っていた場所、行きも帰りも平常心ではなく常に何かを考えて、嬉しかったり悲しかったりと感情が常に交差していた。

ここを卒業する事が夢で、その夢が現実になった。こんな高齢で飛び込んできた患者を受け入れてくれて卒業させてくれたクリニックには感謝しかない。ここがなかったら今の私は存在していないのだから。

 


f:id:chikogo:20180913162905j:image

 

これから先こんな頻繁に乗る事はないであろう新幹線に乗って落ち着いてから心拍確認出来た事と卒業出来た事を夫に報告する。その後は車窓を見ながら次にやらなければならない事を考えていた。

帰ったら早い内に産院に予約しよう。

不安から開放されて自然とお腹に手が行く。あの内診室で聞いた心拍音を思い出しながらエコー写真を見る。

まだまだ先は長いけど、また壁を超える事が出来た。